芥川也寸志のことは、NHKの『N響アワー』という番組で知った。
一時期、歴史学者の木村尚三郎、作詞家のなかにし礼の3人で司会をしていた。
芥川也寸志が作曲家ということは知っていたが、恥ずかしながら、その音楽を聴いたことはなかった。
正しくは、聴いたことがあっても、それが芥川の曲だと知らなかった、ということだった。
つい最近、映画『八甲田山』の音楽を芥川が作曲していたことを知った。
そのこともあってか、生誕100年を記念するコンサートが行われると聞いて、足を運んだ。
会場は、芥川に所縁のある、上野の台東区立旧東京音楽学校奏楽堂。
現在は台東区立とあるが、元は東京音楽学校、その後の東京藝術大学の施設だった。
老朽化が進み、その保存をめぐり東京藝術大学では費用を負担できず、台東区が名乗りをあげた。東京音楽学校の卒業生でもあった芥川も、他の卒業生たちともに、その保存に尽力したという。
また、芥川也寸志が、最後にアマチュアの新交響楽団の指揮を行ったのも、この奏楽堂だった。
コンサートは2部構成で、1部は弦楽四重奏曲やピアノ曲『ラ・ダンス』など昭和20年代に作曲された音楽、2部はヴァイオリンとピアノのためのバラードや、子供のための歌曲、絃楽のための三楽章(トリプティーク)など、昭和50年代に作曲された音楽が演奏された。
当たり前のことながら、いずれの曲にも、日本の音楽の要素が微妙にブレンドされていた。
また、芥川の音楽の特徴である、オスティナートと言われる短い周期の音の繰り返しが、随所に現れていた。
子供のための歌曲”ぶらんこ”と”ことりのうた”は、歌が始まってすぐに、かつて子供の頃に聴いていた記憶が蘇り、鳥肌が立った。
それらの曲が、芥川の曲だということを、このコンサートで初めて知ることになった。
一番最初に演奏された弦楽四重奏曲の一部は、最後に演奏された芥川の代表的な楽曲でもあるトリプティークに転用されている。
一瞬、また同じ曲が再演されているのかとも感じたが、聴いていくうちに、明らかに音楽としての完成度は、トリプティークが優っている。
このコンサートの企画者は、芥川の生涯にわたる音楽の変化と共通性を、感じて欲しかったのだろう。
現在、日本の作曲者で演奏される人といえば、武満徹、あるいは細川俊夫あたりが多いのではないか。
芥川也寸志の音楽は、もう少し注目され、もっと演奏されてもいい。
この日の演奏者は、すべて東京藝術大学の卒業生、つまり芥川の後輩たちだった。
最後のトリプティークの演奏が終わった後で、ヴァイオリンの尾池亜美が、メンバーに向けて”演奏は上手くいったね!”と言わんばかりの飛び切りを笑顔を見せた。
その表情が、このコンサートが成功であったことを、何よりもよく物語っていた。