2014年4月12日土曜日

リヒャルト・シュトラウスの生涯 第V部 辞世のうたー去りゆく古き良きヨーロッパ

2014年の東京・春・音楽祭。リヒャルト・シュトラウスをテーマとしたマラソン・コンサートもいよいよ最後。第V部は、シュトラウスの晩年の曲を中心とした構成。

最初の曲は、メタモルフォーゼン。オリジナルでは、23の独奏弦楽器のための習作のための、ということになっているが、ここでは、レオポルト編曲による、弦楽七重奏版で演奏された。

この曲は、第2次世界単線の末期、1945年4月、ドイツの降伏の直前に完成された。

とにかく暗い音楽で、聴いているうちに、こちらの気分がだんだんと悪くなってくるくらいに、暗い。

およそ30分くらいの曲だが、余りの曲の暗さに、20分くらいすぎた頃から、会場内には、”まだ終わらないか?”という無言の雰囲気が漂ってくる。

演奏が終了した時の拍手には、”ようやく終わった。終わってくれて、ありがとう!”という気持ちがこもっているように感じられた。

シュトラウスは、ヒトラーのナチス政権下において、帝国音楽院の総裁を務めていた。そのため、戦後はナチスへ協力した罪を問われ、裁判にかけられ、結局は無罪となったが、高齢のこともあり、その後はあまり表立った活動は行わなくなった。

メタモルフォーゼンとは、変容、あるいは複数の変奏という意味だが、それは音楽的な意味よりは、シュトラウス自身の気分的な意味合いが強いのかもしれない。

ドイツは、連合国軍による度重なる空襲で荒廃しきっていた。ミュンヘン、ドレスデン、そしてウィーンといった名だたる歌劇場は、その空襲で破壊された。

当時すでに80歳を超えていたシュトラウスは、自分の死と、ドイツの死を目の前にし、瞑想と、そのいずれの復活をも、この曲を通して願ったの知れない。

メロディは、終止暗いが、時折、明るさを取り戻しそうになるが、それもつかの間、すぐに、悲しい世界に戻ってしまう。

演奏は、ウェールズ四重奏団、佐々木亮(ヴィオラ)、門脇大樹(チェロ)、池松宏(コントラバス)。

後で、CDでオリジナルのより大きな構成での演奏を聴く機会があったが、このコンサートで聴いたほど、暗さは感じなかった。この小編成だったからこそ、あの音楽が生み出されたのだろう。

続いて、その暗い不雰囲気を、少し中和するかのような、ソプラノの横山恵子による、あおい、という歌曲。これは、シュトラウスの最後の作品。

1948年11月に書かれ、シュトラウスは、その翌年の9月に85歳で亡くなっている。

続いては、その死より半世紀前の1894年に作られた、4つの歌から、メゾソプラノの加納悦子のよる、憩え、わが魂。シュトラウスが2番目のオペラが失敗したことで、落ち込んでいた時の曲で、やや暗い内容。

そして、有名な歌曲、4つの最後の歌。安井陽子と横山恵子がそれぞれ2曲づつを歌った。

シュトラウスは、この珠玉の作品を死の前年の1948年に作っている。人生の、ある地点に到達した心境が、そのまま音楽として溢れ出ているようだ。

最後は、再び、ばらの騎士から、オペラの終盤に歌われる、私が誓ったことは。

元帥夫人は、若い愛人のオクタヴィアンとの愛をあきらめて、オクタヴィアンとゾフィーとの愛を祝福する。オクタヴィアンは、元帥夫人への後ろめたさに躊躇しながらも、すでに気分はゾフィーとの愛に移っている。そして、ゾフィーは、そうした事情を全く知らず、ただただ、オクタヴィアンとの愛を純粋に喜び、歌う。

この3人の感情が、シュトラウスの悲しくも美しい音楽で表現され、例えようもない、素晴らしい音楽世界を生み出す。

このオペラを初めて目にし、耳にした時の感動が、再びよみがえる。

音楽と、物語が、これほど融合した作品は、他にそう簡単に見つけられるものではない。オペラという芸術作品の、ひとつの頂点がそこにある。

偉大な作曲家でありながらも、実に複雑な人生を歩んだ、リヒャルト・シュトラウスという人物をテーマにした、このコンサート・シリーズの最後に相応しい曲だった。

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