2012年12月22日土曜日

リヒャルト・シュトラウス:オペラ『サロメ』

オスカー・ワイルドの原作に、リヒャルト・シュトラウスの音楽とくれば、面白くない訳はない。

しかも、わずか1幕で、2時間ほどで終わるので、オペラに初心者にも聞きやすい構成になっている。

シュトラウスは、この作品を1903年から1905年にかけて作曲した。

ストーリーは、新約聖書に描かれている挿話をもとにしている。ヘロデ王は兄を殺してその后ヘロディアスと国を奪う。后と兄の娘であるサロメを自分のものにしようとするが、サロメは、自分の踊りを見せる代わりに、預言者のヨカナーン(ヨハネ)の首を要求する・・・

オペラの前半は、登場人物の人物像や関係が、様々な音楽で多彩に描かれるが、サロメが踊り終え、ヨカナーンの首を要求すると、オペラは一気に陰鬱な世界に突入する。その対比が見事。

サロメのソプラノ、ヘロディアスのメゾ・ソプラノ、ヨカナーンのバリトン、ヘロデ王のテノール。その4人の歌声が、見事に調和している。

このオペラは、最も良く出来たオペラの一つだ。

バーデン=バーデン祝祭劇場2011年の講演では、サロメ役は、アンゲラ・デノケ。サロメ役では定評があるということだが、年齢が高過ぎ。母役ヘロディアスを演じるドリス・ゾッフェルとほとんど変わらない年齢に見えて、これでは、全くの興ざめ。

最後に、ヨカナーンの首が登場するが、これをどのように演出するかもこのオペラの鍵になる。

素材は一流だが、これをどう演出するかによって、これほど印象が変わるオペラも、珍しい。

2012年12月15日土曜日

プロコフィエフ:交響曲第5番

プロコフィエフが1944年にわずか1ヶ月あまりで作曲したといわれる5番目の交響曲。

折しも、ドイツの侵攻を受け、危機に陥った祖国の状況を見て、自分も何かしなければ、という思いにかられて作曲した、といわれる。

内容は、たしかに国民を鼓舞するような壮麗なパートもあるが、モダンな側面、ロシアの音楽らしい重厚な雰囲気、コミカルな側面もあり、プロコフィエフの様々な側面を味わえる交響曲になっている。

特に、第4楽章のフルートで奏でられる有名なメロディは、プロコフィエフのコミカルな面がよく表れていて楽しい。

フィナーレは、古典的な壮麗さと、モダンな不協和音を、あわせて表現したかったような、ちょっと微妙な雰囲気。

ストラヴィンスキー:詩篇交響曲

ストラヴィンスキーが1930年に作曲した、聖書の詩篇(38、39、150)をもとに、交響曲というよりは、オラトリオのような作品。

晩年の新古典主義の時代の作品。確かに、第2楽章、第3楽章は、古典的な印象だが、第1楽章は、やや初期の前衛的な雰囲気を残している。

こうした聖書を主題にした作品に取り組んだ、ということ自体が、古典への回帰、ということなのかもしれない。

2012年ザルツブルグ音楽祭のオープニング・コンサートから。ヴァレリー・ゲルギエフ指揮、ウィーンフィル、ウィーン国立歌劇場合唱団の演奏。

2012年11月18日日曜日

ドニセッティ:オペラ『愛の妙薬』

ドニセッティが1832年に作曲したイタリアでは珍しい喜劇オペラ。35才の脂の乗り切った頃の作品。『アンナ・ボレーナ』と同じロマーニの脚本。

最初に依頼した作曲家が突然、仕事を放棄し、急遽依頼されたドニセッティが、短期間で仕上げたという。

ある女性に恋する男が、単なるワインを、”愛の妙薬”と騙されて購入する。しかし、いろいろなことが重なり、男の思いが相手の女性に伝わり、二人は結ばれる。男は、最後までそれを”愛の妙薬”のお陰だと信じている、というたわいないストーリー。

しかし、そんな陳腐な喜劇が、素晴らしい音楽と、素晴らしい歌手、演奏者たちの手によって、素晴らしいエンターテイメントになってしまうのが、オペラという芸術の面白さだ。

特に、ビリャソン演じるネモリーノの第2幕の「人知れぬ涙」は、相手の女性への男の純粋な恋心が、見事に表現されていた。

オペラ歌手として有名な、ロランド・ビリャソンが自ら演出した、2012年5月のバーデン・バーデン劇場での講演。


2012年11月17日土曜日

ベートーヴェン:ピアノ協奏曲第5番『皇帝』

ベートーヴェンが、1809年から1810年にかけて作曲した5番目のピアノ協奏曲。折しも、ナポレオンがウィーンを占領していた時期に重なる。

ベートーヴェン自身は、この曲を”皇帝”とは読んでいない。上記の背景や、この曲の内容の壮大さから、そう呼ばれる。

第1楽章では、ピアノの独奏に始まり、オーストラがそれに加わる。このピアノとオーケストラが融合する部分が、実に自然で素晴らしい。始まりから、この曲の偉大さが提示される。

そして、第2楽章のアダージョウンポコでは、美しいメロディーが奏でられる。この世の中で、最も美しい音楽の1つだろう。

ベートーヴェンといえば、交響曲というイメージが強いが、このピアノ協奏曲は、またそれとは違った意味で、彼の音楽の頂点とも言える。

ピアノ、ルドルフ・ブッフビンダー、ウィーンフィルによる、2011年5月のウィーン楽友協会ホールでの演奏から。

2012年10月26日金曜日

ベートーヴェン:ピアノ協奏曲第4番

ベートーヴェンが1806年に作曲した4番目のピアノ協奏曲。

出だしから、終止穏やかで、激しいイメージのベートーヴェンではなく、ベートーヴェンの優しく、穏やかな一面を堪能することができる。

初演は、1808年にウィーンで行われたが、交響曲第5番、6番とともに演奏されたにもかかわらず、評判は今ひとつだったという。今からは、まるで想像もできない。

ルドルフ・ブッフビンダーのピアノとウィーンフィルによる2011年5月のウィーン楽友協会ホールの演奏で。

2012年10月21日日曜日

ヴェルディ:オペラ『運命の力』

許されぬ恋、殺人、復讐、恋人の死・・・いかにも、イタリア・オペラらしいテーマ。そのすべてがつまったのが、このヴェルディのオペラ、『運命の力』だ。

スペインで物議をかもした戯曲を、ヴェルディがオペラ化したもの。ロシアでの初演では、原作通り、ヒロインのレオノーラが、すでに虫の息の兄に殺され、主演のアルヴァーロも、「自分は地獄からの死者だ。人類は皆滅びるがよい。」と叫んで、飛び降り自殺をする、という過激な内容だった。

さすがに、これでは評判が悪かったようで、現在、一般的に演じられるのは、アルヴァーロは悲嘆するものの、牧師に諭されて、生き残るという改訂版。

アルヴァーロが、インカ人の血を引いている、というのもこの原作の戯曲のミソになっており、演出によって、いろいろな解釈が可能になる。

序曲は、ヴェルディのあまたあるオペラの中でも屈指の名曲。コンサートでも、よく演奏される。

ウィーン国立歌劇場の2008年の講演。レオノーラにニーナ・シュテンメ、アヴァーロには、惜しくも先日亡くなったサルヴァトーレ・リチートラ、レオノーラの兄のドン・カルロにカルロス・アルバレス、というドリームキャスト。指揮はズビン・メータ。

2012年10月20日土曜日

ベートーヴェン:ピアノ協奏曲第3番

ベートーヴェンが1800年に作曲した3番目のピアノ協奏曲。ベートーヴェンによるピアノ協奏曲の中では、唯一の短調の曲。

短調ということもあるが、出だしから、第1番、第2番とは全く異なり、いわゆる”ベートーヴェン”らしい曲になっている。

ベートーヴェンが、まさしく、ベートーヴェンになっていく過程の一つを、目撃するような作品。

ピアノ、ルドルフ・ブッフビンダー、ウィーンフィルによる、2011年5月のウィーン楽友協会ホールでの演奏から。

ベートーヴェン:ピアノ協奏曲第2番

ベートーヴェンの2番目のピアノ協奏曲。第1番より早く、1795年に作曲されたが、楽譜の出版が遅れたため、第2番となっている。

ベートーヴェンというより、モーツァルトのピアノ協奏曲といった雰囲気。モーツァルト定番のメロディが随所に登場する。

初演の時には、まだピアノのパートの楽譜が書き終わっておらず、アドリブで演奏した、というが、モーツァルトのエピソードのようだ。

ピアノ、ルドルフ・ブッフビンダーとウィーンフィルとの2011年ウィーン楽友協会ホールでの演奏から。

2012年10月6日土曜日

ベートーヴェン:ピアノ協奏曲第1番

ベートーヴェンが、24才頃に作曲したピアノ協奏曲。年代的には、第2番の方が先に作曲された。初演は、師のサリエリの指揮で、自ら演奏した。

全体的に穏やかな感じの曲。後年のロマン主義的なダイナミックさは、あまり強くない。

すでに、その当時のオーケストレーションの技法を完全に自分のものとしていることが、この曲からわかる。

ウィーンで人気を誇る、ブッフビンダーとウィーンフィルによる、ベートーヴェン・ピアノ協奏曲全曲演奏の一環として、2011年5月に楽友協会ホールで演奏された。

ブッフビンダーは、指揮者を置かず、みずから指揮を執りながらの演奏だった。

2012年9月29日土曜日

ブラームス:ヴァイオリンソナタ第1番〜第3番

ブラームスが生涯に作曲したヴァイオリンソナタは、わずか3曲だった。

第1番は、1879年に作曲された。『雨の歌』という題名は、同じ名前の歌曲と同じメロディーが、この中で使われていることによる。

第2番は、1886年に作曲された。生活環境が安定した時代の曲で、他の2曲よりは、明るい内容と言われているが、ブラームスらしい、重厚な曲に思えた。

第3番は、1886年から88年にかけて作曲され、第2楽章のアダージョを除いて、短調で作られている。友人の音楽学者の死によって、人生に悲観的になったためとも言われている。第2楽章のアダージョに、そのあたりの雰囲気がよく現れている。

4つの楽章は、実に多彩。穏やかな第1楽章、悲しい第2楽章、軽い感じの第3楽章、そして激しい第4楽章。

ヴァイオリンの音の豊かさを、十二分に堪能できる、素晴らしい作品。

その後、ブラームスは、ヴァイオリンソナタを作曲することはなかった。

2009年12月、アンネ=ソフィー・ムターとランバート・オーキスによる、バイエルン州のビブリオテークザールでの演奏。

最初に、明るい感じの第2番を演奏し、第1番、第3番という順序で演奏された。

モーツァルト:ヴァイオリンソナタ第40〜43番

モーツァルトが、1784年から1788年にかけて作曲した、晩年の4つのヴァイオリンソナタ。

特に第40番については、あまりの忙しさに、演奏の初日までに、ピアノのパートが間に合わず、モーツァルトがアドリブで演奏した、というエピソードが残っている。まさに、天才の技。

わずか年の生涯の中で、ヴァイオリンソナタだけで、43曲も作曲したということが、モーツァルトという人物を、よく表している。

2006年2月、アンネ=ゾフィー・ムターとランバート・オーキスによる演奏。

2012年9月23日日曜日

モーツァルト:レクイエム

モーツァルトが、1791年の死の直前まで書き続けていたレクイエム。

映画『アマデウス』で、ライバルのサリエリが、モーツァルトを死に追いやるために依頼した、として描かれてしまい、どうしてもその印象が拭いきれないが、実際は、ある人物が亡くなった自分の妻のためのミサ曲として、依頼した、と言われている。

14の曲から構成されているが、モーツァルトが生前に完成させたのは、第1曲だけ。あとは、死後、弟子や周囲の人々が、残されていた譜面などから、完成させている。

フーガが多く使われているため、バロック音楽のように聞こえる。同じ時期に作曲していた『魔笛』と、同じようなメロディがところどころ聞こえる。

第3曲の『怒りの日』と第8曲の『涙の日』が有名。モーツァルトのエモーショナルなメロディが、一度聞いたら忘れない、強い印象を残す。

2012年のルツェルン音楽祭、クラウディオ・アバド指揮、ルツェルン音楽祭管弦楽団の演奏で。楽譜は、部分的に、フランツ・バイアー版とロバート・レヴィン版を使用。

ベートーヴェン:劇音楽『エグモント』

ベートーヴェンが、1809〜1810年にかけて、ゲーテの戯曲をもとに、作曲した劇音楽。

初演は成功し、ゲーテもその内容には満足したというが、現在は、ほとんどの演奏会で、序曲しか演奏されない場合が多い。

確かに、この序曲のインパクトは強力。最初のその低音が、いきなり聴衆の心の奥底にまで、入り込んでくる感じがする。

この2年まに、ベートーヴェンは交響曲第5、6番を、その2年後には、交響曲第7番を作曲している。

2012年のルツェルン音楽祭では、クラウディオ・アバド指揮、ルツェルン音楽祭管弦楽団の演奏で、ブルーノ・ガンツがナレーションで劇の内容を説明し、その楽曲のみが演奏された。

やはり、最初の序曲と、そこで使われているテーマが現れる最後の”勝利のシンフォニア”ばかりが、耳に残った。

2012年9月17日月曜日

モーツァルト:ヴァイオリンソナタ第32番〜36番

モーツァルトが、ザルツブルグの大司教から独立し、フリーの音楽家となり、ウィーンで一旗揚げようとしていた、1781年に作曲したと考えられている、ヴァイオリンソナタ集。

弟子のアウエルンハンマー、あるいはヴァイオリニストのブルネッティために作曲した、と言われている。

第35番の第1楽章アダージョ—アレグロ。第36番の第2楽章アンダンテ・コン・モートなどを聞いていると、明らかに、それまでのモーツァルトのヴァイオリンソナタに比べて、深みが加わっているように聞こえる。

第36番の第3楽章ロンドー、アレグロは、モーツァルトの楽曲の中でも、ポピュラーなメロディーの1つ。

2006年2月、アンネ=ゾフィー・ムターとランバート・オーキスによる、ミュンヘンでの演奏から。

2012年9月16日日曜日

モーツァルト:オペラ『ドン・ジョバンニ』

モーツァルトが、プラハでの『フィガロの結婚』の成功を受けて、再び脚本家のダ・ポンテと組んで作曲したオペラ。

お馴染みのメロディーが多く盛り込まれていて、いつ聞いても、楽しめる。

このオペラには、ドン・ジョバンニと従者のレポレッロの掛け合いに見られる喜劇的な側面と、ラストのドン・ジョバンニの死に見られる悲劇的な側面の両面があり、演出によって、どこにフォーカスするかで、全く違ったオペラに見えてしまう点が面白い。

世俗の掟に最後まで成功するドン・ジョバンニを、近代的な精神のヒーローと見ることもできるし、ドン・ジョバンニに一度は裏切られながら、心の中では愛し続けるドンナ・エルヴィーラに、女性原理の象徴を見ることもできる。

ドン・ジョバンニが死を迎える直前に、自ら晩餐会を開き、”女とワインは男の栄光だ”と叫ぶシーンがあるが、これは文字通り、最後の晩餐だ。

2010年のグラインドボーン音楽祭の公演は、1788年のウィーン再演版を使い、舞台を1950年のフランコ独裁政権下において、舞台全体を暗く演出し、悲劇的な側面を強調した演出だった。

ビゼー:オペラ『カルメン』

もっとも有名なオペラの1つ、ビゼーの『カルメン』。初演時の評判は今ひとつで、その後の改良で人気を博した。しかし、残念ながらビゼーはそのとき、すでに亡くなっていた。

運命の女の代名詞となった、自由奔放に生きる、ロマの女、カルメン。そのカルメンに恋をして、やがては破滅して行く軍人のホセ。

”恋は野を飛び回る鳥のような存在 誰もそれを手なずけることはできない”とはじまる「ハバネラ」。この冒頭で歌われるこの歌が、まさにこのオペラのすべてを語っているように聞こえる。

同時にこのオペラでは、ホセが、軍隊の規律や家族との繋がりと、ロマの自由な生活のあいだで揺れ動く様子が描かれる。

いずれも、今日から見れば、明らかに男性の立場から見た女性像、統治する側から見た、放浪のするロマへの差別、などがあからさまに描かれている。

しかし、オペラの演出によっては、その矛盾を、暴きだすことができる。

2010年リセウ大劇場での公演は、舞台を現代に移し、ロマの人々は、車に乗って放浪したり、途中、全裸の男が踊りを演じるなど、大胆な演出で、大きな反響を呼んだ。

カルメンの悲劇、ホセの悲劇は、時代が変わっても、誰にでも、ふいに訪れる可能性を持っている。このオペラは、今後も長く演じられて行くだろう。

2012年9月9日日曜日

シューベルト:交響曲第8番『ザ・グレイト』

シューベルトの交響曲の中で、完成されたものとしては最後の作品。完成した1826年、ウィーンの楽友協会に提出したが、演奏困難、との理由で演奏はされなかった。

後に、シューマンが自筆譜を発見し、メンデルスゾーンに送り、1839年、ライプツィヒのゲヴァントハウス管弦楽団により初演された。

シューマンは、シューベルト=歌曲、というイメージしか持っていなかったが、この楽譜を見て、驚きを隠せなかったという。

この曲を初めて聴いた時の驚きは、シューマンのその驚きと変わらない。シューベルトは、紛れもなく、ベートーヴェンらと肩を並べることができる、ロマン派の交響曲作曲者の一人だ。

カール・ベーム指揮、ウィーンフィルの楽友協会における1966年の演奏は、およそ50分。今日よりは、少し速いテンポでの演奏だが、シューベルトの頭の中にあった音楽は、こちらの方が、より近いのかもしれない。

ベートーヴェン:バレエ『プロメテウスの創造物』から

ベートーヴェンの残した2曲のバレエ曲の1つ。

今日では、序曲以外はほとんど演奏される機会がない。

1978年に、バーンスタイン指揮、ウィーンフィルによる楽友協会での演奏では、めずらしく、序曲、第4曲、第5曲、フィナーレが演奏された。

プロメテウスをイメージしたといわれる主題は、聞き覚えがある。ベートーヴェンは、この主題を、交響曲第3番やエロイカ変奏曲にも利用している。

ベートーヴェンにとっては、プロメテウスは、英雄そのもののイメージだったのかもしれない。

マーラー:交響曲第7番『夜の歌』

マーラーが、1904年〜1905年にかけて作曲した交響曲。第2楽章と第4楽章に、Nachtmusikとマーラーが記していることから、”夜の歌”と言われる。

モーツァルトのNachtmusikは、ロマンチックな子守唄、という感じだが、マーラーのこの交響曲は、様々な思いが交錯して、悶々として、眠れない夜が続く、そんな雰囲気を映しているようだ。

第1楽章から、終止ゆっくりとしてリズムで音楽が進んで行く。主題のテーマは印象的。マーラーらしい。

第2楽章は、夜想曲の一つ目。ユーモラスで、少し間の抜けたようなメロディが、夜のテーマになっている。

第3楽章のスケルツォ。時折、猫の鳴き声のようなメロディが聞こえる。ウィーンらしいワルツ。

第4楽章は、再び夜想曲。

第5楽章は、それまでの陰鬱な音楽を振り払うかのような、壮麗なマーチで始まる。1年分の朝が、一度に訪れたかのようだ。

最後は、マーラーらしい、壮大な音楽、ファンファーレで終焉を迎える。

バーンスタイン指揮。ウィーンフィルの1974年のウィーン楽友教会での演奏から。

2012年9月8日土曜日

モーツァルト:ヴァイオリンソナタ「パリ・ソナタ」

モーツァルトのヴァイオリンソナタのうち、「パリ・ソナタ」といわれる第25番〜第30番。

1777年にミュンヘンで聞いたヨーゼフ・シュースターのヴァイオリンソナタを聞いてインスピレーションを受けて作曲され、パリで出版されたことからそう呼ばれている。

第28番は、この中で唯一短調。ちょうど、母のアンナが、訪問先のパリでなくなった時期に作曲されたといわれており、悲しい曲調になっている。

第30番は、モーツァルトらしい、華やかで流れるような曲調。

ヴァイオリンとピアノだけによる音楽ではあるが、モーツァルトの多面的な音楽を楽しむことができる。

ヴァイオリンは、アンネ=ゾフィー・ムター。ピアノは、ランバート/オーキス。2006年2月ミュンヘンでの演奏から。

2012年9月2日日曜日

リゲティ:オペラ『ル・グラン・マカーブル』

映画『2001年宇宙の旅』や『シャイニング』の音楽でも知られる、20世紀の音楽が、ジョルジ・リゲティが、1977年、54才の時に作曲した唯一のオペラ。

原作は、フランスのミシェル・ド・デルドロードの戯曲『大いなる死のバラード』。ブリューゲルワールドという架空の国を舞台に、男性である死神が、この世の終わり、最後の審判の訪れを宣言し、人々は絶望にくれる。

しかし、最後の審判は訪れず、レズビアンが『心配は他の人間に任せ、自分たちは、今この時間を楽しもう』と宣言し、死神が殺した女性も蘇る、というストリー。

この不思議なストーリーが、リゲティのエキセントリックな音楽の中で、強烈なパロディとともに、展開される。

スペイン、バルセロナのリセウ大劇場での2011年の公演。舞台の真ん中に、巨大な裸の女性の像が置かれ、その前で、時にはその内部で、オペラが演じられる。冒頭で、レズビアンの二人が、性行為を創造させる動きをする。そうした斬新な演出で、観客のオペラに対する概念の再考を迫る。

オペラの全編を通じて、男性原理に対する、女性原理の勝利が描かれる。

ル・グラン・マカーブルとは、大いなる死者、という意味。リゲティは、第2時世界対戦中、家族とともに強制収容所に入れられ、父親と弟を、そこで失っている。

そのリゲティが、最後の審判と、それをものともせずに、たくましく生き延びる人間たちを描いたオペラを作った、ということの意味を、自然と考えさせられる。

2012年9月1日土曜日

シューベルト:交響曲第4番『悲劇的』

若くして命を落としたシューベルトが、19才の時に作曲した4番目の交響曲。シューベルトは、この交響曲を作曲していた時は、まだ教師の仕事をしていたが、その後、すぐに教師を辞め、音楽に専念する人生を歩み始める。

シューベルトの交響曲には、『グレート』『未完成』などの名前がついたものもあるが、この第4番の『悲劇的』という表題だけは、シューベルト本人が名付けている。

シューベルトは、8つの交響曲を完成させたが、この第4番以降からが、彼らしいオリジナリティに溢れている、と言われている。

始まりは、”ジャーン”という古典的な出だしで始まり、第1楽章は、表題にあるように、暗い感じの音楽になっている。

ベートーベンの交響曲を意識して書いたそうだが、ベートーベンの交響曲に比べると、大人しく、お上品な内容。

第2楽章のアンダンテでは、穏やかな明るさを取り戻し、第3楽章の4分の3拍子のメヌエットと続き、最後の第4楽章のアレグロでは、表題とは打って変わって、華やかな楽しいエンディングとなる。

1984年、ウィーン楽友教会での、アンノンクール指揮、ウィーンフィルの演奏から。

2012年8月26日日曜日

ショスタコーヴィチ:交響曲第1番

ショスタコーヴィチが、19才のとき、レニングラード音楽院の卒業制作として作曲されたもの。

ワーグナーやマーラーらの、後期ロマン派に影響されながらも、モダンな現代音楽の要素も取り入れた作品。

第1楽章 アレグレット - アレグロ・ノン・トロッポ。トランペットとファゴットの音で始まる。アレグロ部分では、いろいろな楽器がソロを演じ、後半で、ようやくオーケストレーションが発揮される。

第2楽章 アレグロ - メノ・モッソ。ショスタコーヴィッチ独特のコミカルさと、エキセントリックさが混じり合った楽章。

ピアノが効果的に使われている。

第3楽章 レント。ワーグナーの『トリスタンとイゾルデ』のメロディが、チェロのソロとして登場する。

第4楽章 レント - アレグロ・モルト。激しい音楽、静かなアダージョのような音楽、いろいろな音楽がごった煮状態。

音が多い、華々しい音楽で終わり、後年のダイナミックな交響曲を連想させる。

この交響曲には、その後に作曲された、全ての交響曲のエッセンスが、すでに表れているように思える。

この作品は、1926年にレニングラードで初演されたが、西ヨーロッパにまでその噂が伝わったというほどの成功を収めた。

同じロシアの作曲家、プロコフィエフは、ショスタコーヴィチより15才年上で、彼が交響曲第1番を初演した1918年は革命の混乱の年だった。プロコフィエフは、その混乱を嫌い、アメリカに亡命した。

ショスタコーヴィチが、交響曲第1番を初演した1926年は、すでに革命が落ち着いており、彼はそのまま、死ぬまでロシアに留まることになった。

バーンスタイン指揮、シュレスヴィヒ=ホルシュタイン音楽祭管弦楽団の1988年の演奏で。

2012年8月25日土曜日

プロコフィエフ:交響曲第1番(古典交響曲)

プロコフィエフが、1917年、26才の時に作曲した交響曲。これ以前にも1曲書いていたが、その内容に不満だったため、こちらの交響曲を第1番とした。

”古典交響曲”という名前にもあるように、前衛的なプロコフィエフとは異なり、ハイドンや初期のモーツァルトのような、文字通り、クラシックな内容の作品になっている。

ペテルブルグ大学院時代に、ハイドンの作曲技法を研究し、その結果をフルにこの交響曲に活用した。

後年の、『ピーターと狼』にも通じる、プロコフィエフの多面的な性格がうかがえる作品。

プロコフィエフは、この曲を初演し終わった後、革命のロシアを脱出し、アメリカに亡命した。激動の時期にあり、過去を振り返り、古典的な音楽について、自分なりの答えを残しておきたかったのかも知れない。

演奏は、ヴァレリー・ゲルギエフ指揮、ワールド・オーケストラ・フォア・ピースの2011年のアブダビでの演奏から。

2012年8月19日日曜日

ダルベール:オペラ『低地』

普段は、あまり目にすることのないオペラ。オイゲン・ダラベールの『低地』。

ストーリーは、製粉工場のオーナーで、多くの小作人や使用人を抱えるセバスティアーノが、金持ちの女性と結婚するために、使用人で愛人だったマリアを、山地にすむペードロに花嫁として押し付けるが、結婚後も愛人関係を続けている。

始めは、その結婚を臨んでいなかったマルタも、ペードロの純粋な愛情に触れ、彼を深く愛するようになり、二人でセバスティアーノと対決する。最後は、ペードロが、セバスティアーノを絞め殺す。

虐げられた民衆が、金持ち階級に復讐する、という社会主義的な内容のオペラだが、ダラベールが、ワーグナーの影響の元にこのオペラを書いていることもあり、ヒットラーがこのオペラを大のお気に入りだったという。そのためもあり、これまで上演機会に恵まれなかった。

ストーリーが、劇的な内容で、音楽も、わかりやすく、美しいメロディーや、激しいワーグナー的なものもあり、純粋に、音楽とストーリーを楽しめるオペラ。

オイゲン・ダラベールは、イタリア系フランス人の父とイギリス人の母の間で、スコットランド生まれながら、ドイツで活躍しドイツに帰化した。

このストーリーは、カタロニア地方を舞台にしたスペインの話から取っている。何とも、汎ヨーロッパ的な背景を持っているオペラで、そのことも、興味深かった。

2006年のチューリッヒ歌劇場公演。フランツ・ウェルザー=メスト指揮。マリアにぺトラ・マリア・シュニッツァー(ソプラノ)、ペードロにペーター・ザイフェルト(テノール)、セバスティアーノにマティアス・ゲルネ(バリトン)。

2012年8月18日土曜日

ロッシーニ:オペラ『シズスモンド』

あまり上演される機会のない、ロッシーニのオペラ。2010年のロッシーニ・オペラ・フェスティバルの冒頭で上演された。

ストーリーは、ポーランド王のシズスモンドが、王妃アルディミーラを死刑にしてしまったことから、正気を失ってしまったが、実は、死んだと思った王妃が生きており、その黒幕を引いていた部下のラディスオラらの企みは失敗に終わり、最後は、愛の中で再開を果たす、というもの。

シズスモンドが正気を失っている、ということから、舞台を精神病院に設定する、という思い切った演出で、賛否両論を巻き起こした。

あまり有名でないオペラだが、聞いていると、どこかで耳にしたことにあるメロディーが、ところどころで登場する。ロッシーニは、あまり成功しなかった過去のオペラで一度使った音楽を、新作のオペラにそのまま、あるいは少し手を入れて、どんどん使っていた。

このオペラでも、『セヴィリアの理髪師』、『ラ・チェネントラ』、『オテッロ』、『タンクレーディ』などで、再利用された音楽が、使われている。

特に序曲は、いかにもロッシーニといった雰囲気のメロディが満載で、ロッシーニのファンのみならず、オペラファンにとってはとても楽しい曲になっている。

1814年に発表されたときは、ヒットしなかった。出だしと、最後の部分は、面白いが、途中が、ストリーの展開があまりなく、間延びしてしまう感があった。

シズスモンドは物語の中では男性だが、メゾ・ソプラノのダニエラ・バルチェッローナが演じた。アルディミーラを演じた、ソプラノのオルガ・ペラチャツコは、若くて美しいオペラ歌手だが、このありディミーラを演じるには、少々若すぎたように思えた。

演出、ダミアーノ・ミキエレット。ミケーレ・マリオッティ指揮、ボローニャ歌劇場管弦楽団による演奏。

マーラー:交響曲第5番

マーラーの交響曲は、彼の人生と切り離して考えることはできない。この交響曲第5番を作曲した1901年〜1902年、マーラーは、アルマとの出会いを迎える一方で、痔病にも悩まされていた。

マーラーにとっての交響曲第5番、運命交響曲の出だし、第1楽章は、”葬送行進曲”と名付けらている。その名の通り、暗い、陰鬱な調子で始まる。

第2楽章での、その暗さはつきまとい、第3楽章ではスケルツォ風に、ワルツの音楽も飛び出してくる。

そして、あまりにも有名な第4楽章のアダージョ。この世ので、もっとも美しい音楽の1つ。耽美的にも聞こえ、厭世的にも聞こえる。

最後の第5楽章では、冒頭の陰鬱な様子は消え、壮麗でダイナミックな音楽が展開され、フィナーレを迎える。

ヴァレリー・ゲルギエフ指揮、ワールド・オーケストラ・フォア・ピース、2010年8月5日、ロンドンのロイヤル・アルバート・ホールで行われたプロムス2010の演奏から。

マーラー:交響曲第4番

マーラーの交響曲の中でも、もっとも”大人しく”、マーラー独特の大音響もほとんどなく、終止、穏やかさに満ちた、明るい感じの交響曲。

マーラーが、この交響曲を作曲したのは、1889年から1900年にかけて。1889年、ウェルター湖という湖の湖畔に別荘を建て始めた。そうしたことも影響しているのかもしれない。

第1楽章は、穏やかな音楽で、民族性に溢れた音楽。

第2楽章は、ヴァイオリンの、不思議なメロディの独奏で始まる。

終止、ゆったりとした静かなメロディー。観客の中にも、次第にウトウトし始める人が出てくる。第3楽章の終わりの部分で、突然大音響が飛び出し、そうした人々も、そこで目が覚める。

第4楽章は、マーラーが歌詞としてよく利用した『少年の魔法の角笛』からの詩に、印象的な音楽を重ねている。

演奏は、ゲオルグ・ショルティの発案で結成された、ワールド・オーケストラ・フォア・ピース、指揮はヴァレリー・ゲルギエフ、ソプラノ、カミッラ・ティリング。2010年8月5日、ロイヤル・アルバート・ホールでのプロムス2010から。

2012年6月16日土曜日

チャイコフスキー:交響曲第6番『悲愴』

チャイコフスキーが、亡くなった1893年に作曲した、6番目の、そして最後の交響曲。チャイコフスキーが”悲愴”と名付け、自分の作品の中で最高のものだと語ったという。

第1楽章は、2つの主題で構成されている。いずれも美しい主題で、地上で最も美しい音楽の1つであることは、間違いない。

第2楽章は、スラブ民謡風のワルツ。まるで、広い草原で、蝶々や小鳥がのどかに飛び回り、人々が思い思いに過ごしている、といったイメージ。さわやかな楽章。

第3楽章は、行進曲みたいなスケルツォ。チャイコフスキーらしい楽章。私の好みではない。チャイコフスキーの交響曲は、後半で、かならずこうした陳腐な音楽になってしまう・・・

第4楽章は、『悲愴』という表題に相応しい、まさに悲しい音楽で始まる。次に現れてくる主題もこれまた悲しいが、時の流れを感じさせるような哀愁に満ちている。次第に、ダイナミックなオーケストレーションが展開されていく。最後は、悲劇のエンディングのように、消え入るように終わっていく・・・

この交響曲を聴いていると、チャイコフスキーにとって、人生とは、そして音楽とは、決して楽しいだけのものではなく、もっと別なものであったのだなあ、と思わされる。

ヴァレリー・ゲルギエフ指揮、サンクトペテルブルグ・マイリンスキー劇場管弦楽団による2010年のパリでの演奏。

2012年6月10日日曜日

チャイコフスキー:交響曲第4番

チャイコフスキーが1876年から77年にかけて作曲した4つ目の交響曲。あきらかに、それまでの3つの交響曲とは異なる。しかも、この後の2つほど暗くはない。

第1楽章は、ホルンによる、ベートベーンの交響曲第5番のような出だし。いきなりチャイコフスキーらしいダイナミックな音楽が展開される。木管楽器によるもう一つの主題と、この2つの主題がめまぐるしく交錯する。

チャイコフスキーは、この曲に強い表題性があることを示唆していたという。この楽章は、2つの感情がぶつかっているようにも聞こえる。

特に、この第1楽章の最後は、まるでこの交響曲自体の終わりかのような、ドラマチックな終わり方だ。

第2楽章は、オーボエの抒情的な調べで始まる。第1楽章で盛り上がった感情が、一気に静まっていく。

第3楽章は、いわゆるピチカートの楽章。他に、ロシア民謡からの音楽も使われている。

第4楽章は、一転、けたたましい音楽が展開され、シンバルが連打される。第1楽章の冒頭の主題が、途中で再び登場する。最後は、この楽章の冒頭の主題で終わる。

チャイコフスキーの交響曲全体に言えることかもしれないが、この交響曲でも、第1楽章、第2楽章が素晴らしい。

ヴァレリー・ゲルギエフ指揮、サンクトペテルブルグ・マイリンスキー劇場管弦楽団による
2010年のパリでの演奏。

2012年6月9日土曜日

チャイコフスキー:オペラ『エフゲニー・オネーギン』

プーシキンの韻文小説『エフゲニー・オネーギン』をもとにしたオペラ。

多額の遺産によって、悠々自適に暮らすオネーギン。若い時から社交嫌いで、タチアーナからの熱烈なラブレターに冷めた回答をするが、数年後に人妻となったタチアーナに再会。その美しさに、若き日の過ちを詫び求愛するが、今度は、逆に振られてしまう。

とにかく、チャイコフスキーの音楽が美しい。

オネーギンは主役だが、バリトンということもあるし、チャイコフスキーも彼用にはあまりいい音楽を書いていない。

むしろ、オネーギンに失恋するソプラノのタチアーナと、オネーギンと決闘して殺されてしまう、友人のテノールのレンスキーの方に、感情移入してしまう。

聞き所は、オネーギンに一目惚れしたタチアーナが、オネーギンにラブレターを書く有名な「手紙の場」と、オネーギンと決闘することになってしまった友人のレンスキーが、決闘の前に歌う「わが青春の輝ける日々よ」。

チャイコフスキー:交響曲第5番

この交響曲は、チャイコフスキーが、1877年の交響曲第4番の作曲以降、11年振りとなる1888年の48才の時に作曲された。

第1楽章は、とても暗いメロディーで始まる。このメロディーは、形を変え、その後の各楽章で登場する。やがて、まるで白鳥の湖やくるみ割り人形のような、華麗な音楽が展開される。

第2楽章は、冒頭でホルンによる美しいメロディーが奏でられる。哀愁に満ちた音楽と、ダイナミックな展開の音楽が交互に現れ、聴くものを、この交響曲の世界に引き込んでいく。

第3楽章は、文字通りのワルツ。第1楽章と第2楽章での疲れをとってください、とでもいった感じ。

第4楽章。第1楽章の冒頭のメロディーが軽快な行進曲のテンポで演奏される。クライマックスにむけて音楽は盛り上がり、最後は、第1楽章の冒頭のメロディーで締めくくられる。

この交響曲は、第1楽章と第2楽章が素晴らしい。第4楽章は、ある意味でチャイコフスキーらしいのだが、ちょっと教科書的な感じがして、あまり面白くない。

2012年6月3日日曜日

ムソルグスキー:オペラ『ホヴァンシチナ』

ムソルグスキーの未完のオペラ。ロシアらしい、重厚で、重苦しい雰囲気のオペラだが、同じムソルグスキーの『ボリスゴドノフ』よりは、少しは明るい内容の部分もある。

舞台は、17世紀の後半。誕生して間もないロマノフ王朝に、ピュートル大帝が登場し、それまで力を持っていた貴族たちを次々と粛正していく様子を、実在のホヴァーンスキー大公に代表させ、その死と、彼に従っていた民衆の悲劇を描いている。

オペラの最後で、ロマノフ王朝に反抗する民衆が虐殺される。確かに、こうした内容では、ムソルグスキーが生きていた時代にこのままの姿で完成させることができなかっただろう。

最後の方は、ただただ悲しいだけのオペラだが、途中は、ムソルグスキーの美しい音楽、特に民衆による、ロシア民謡や、ペルシャ風の音楽を取り入れた部分は、聞き応えがある。

ホヴァーンスキー大公のテーマは、ロシアらしい重々しい音楽。

シャクロヴィートゥイのアリア「ああルーシよ、あなたは呪われている」は、ロシアの民謡風の音楽で、祖国の悲しみを切々と歌う。

第3幕から、ホヴァーンスキー大公が殺される第4幕がクライマックス。特に、民衆の合唱が、悲しみを讃えて、美しい。

ショスタコーヴィチ版をドミトリー・チャルニャコフが演出。出演は、パータ・ブルチュラーゼ(ホヴァンスキー)、ドリス・ゾッフェル(マルファ)他。ケント・ナガノ指揮、バイエルン州立歌劇場管弦楽団及び合唱団。2007年のミュンヘン・オペラ・フェスティバルの演奏。現代風の衣装、セットによる演出。

ゲルギエフ指揮による、2012年9月のロシア、サンクトペテルブルクのマリインスキー劇場の公園は、当時の様子をそのまま再現したような、古典的な演出。

それぞれ、演出の違いで、全く違ったオペラのように見える。

ラフマニノフ:交響曲第2番

ラフマニノフが、ドレスデンに滞在していた間に作曲した作品。人生でもっとも安定していた時期の作品で、ピアノ協奏曲第2番と並ぶ、ラフマニノフの代表曲。

第1楽章は、重く陰鬱な雰囲気で始まる。

第2楽章は、一転、ホルンのよる軽快なテンポではじまるスケルツォ。ラフマニノフの重厚なイメージとは違った、明るい音楽。

第3楽章は、管弦楽による、人生の哀愁を感じるような美しい音楽が印象的。ラフマニノフの楽曲の中でも、屈指の音楽。

第4楽章は、ワーグナー風のテンポの速い音楽で始まり、いろいろなメロディーを奏でながら、壮麗なフィナーレを迎える。

ユージン・オーマンディ指揮、フィラデルフィア管弦楽団、1979年の演奏で。


2012年5月26日土曜日

ヴェルディ:オペラ『シモン・ボッカネグラ』

14世紀のジェノバが舞台。対立する同士の間で、許される恋をする男と女。生き別れた娘と再会する父親。娘の幸せを願い、自らを犠牲にする父親・・・

イタリアオペラによく現れるモチーフがてんこ盛りのオペラ。それが、ヴェルディの音楽に乗せて展開される。

特に、第1幕の第2場。貴族派と平民派が対立する議会で、主要な登場人物が総登場して演じられるシーン。ヴェルディらしいダイナミックで緊張感のある音楽が、物語を一気にクライマックスに持っていく。

カルロ・グエルフィ(シモン)、カリタ・マッティラ(アメーリア)他。アバド指揮、フィレンツェ5月音楽祭管弦楽団および合唱団。2002年6月の演奏。

チャイコフスキー:交響曲第3番『ポーランド』

5つの楽章を持つ珍しい交響曲。第5楽章で、ポーランド舞曲のリズムが用いられているところから、『ポーランド』という名前がついている。

第1楽章は、実に静かな始まり。第2楽章には、ワルツ風の美しいメロディーが展開される。最後の第5楽章は、チャイコフスキーらしい、ダイナミックな音楽で、最後の終わり方も壮麗。

第4番以降の3大交響曲ほど、あまり演奏される機会はないが、もっと演奏されていい交響曲だ。

プロコフィエフ:交響的物語『ピーターと狼』

プロコフィエフが、”子供を音楽に引き込むため”に作曲した、子供向けの、ストーリーを持ったオーケストラのための音楽。

子供に興味を持ってもらうために、ピーター、小鳥、アヒル、ネコ、狼などを楽器や簡単なメロディーで表現している。

これは、基本的にはオペラの作曲と同じ。登場人物を、ソプラノやテノールに当てはめ、それぞれのテーマを決めて行く。

とりわけ、主人公のピーターやオオカミの主題は、一度聴いたら忘れらないほど印象的だ。

ジョン・ウィリアムスのスターウォーズのような音楽が、そこかしこに聞こえてくる。

人間は、音楽を聴いた時に、それを単に音楽として聞くだけでなく、場合によっては、具体的な物や場面、あるいは感情を想起する。例え、作曲家が、純粋音楽を意図したとしても、聞く方は、必ずしも、それを”純粋”に受け入れる訳ではない。

子供向けの、実にシンプルで、演奏時間も30分と短い曲だが、この曲は、音楽の本質について、いろいろなことを考えさせてくれる。

朗読、ヴィッコ・フォン・ビューロー。マルチェロ・ヴィオッティ指揮、ベルリン・ドイツ・オペラ管弦楽団の1996年の演奏で。

ラフマニノフ:ピアノ協奏曲第2番

あまりにもポピュラーな、ラフマニノフの代表曲。

第1楽章は、まるでロシアの大地から湧き上ってくるような、重厚な低音の響きで始まる。

第2楽章、第3楽章でも、いずれも1度聞いたら忘れられないような、印象的なメロディーに溢れており、ピアノ曲としてのみならず、クラシック全体を代表する曲でもある。

しかし、ラフマニノフがこの曲を作曲した時は、最初の交響曲の失敗などで、極度に落ち込んでいて、精神科医の力を借りて、ようやく完成に漕ぎ着けた。

その意味では、この曲は、ラフマニノフにとっての”復活”ということができる。

この曲が長く愛されているのは、単に音楽が美しい、というだけではないのかもしれない。

ピアノ、アレクシス・ワイセンベルク。カラヤン指揮、ベルリンフィルの1973年の演奏で。

2012年5月19日土曜日

チャイコフスキー:交響曲第2番「小ロシア」

チャイコフスキーの交響曲の中では、35分と一番短い小品。全体的に、明るい感じの作品。


第1楽章は、”ジャーン”という古典的に始まるが、ロシアの民謡が、各楽章のところどころに組み込まれている。


第4楽章は、チャイコフスキーらしいダイナミックな展開。


ヴァレリー・ゲルギエフ指揮、サンクトペテルブルグ・マイリンスキー劇場管弦楽団による
2010年のパリでの演奏。

ムソルグスキー:オペラ『ボリス・ゴドゥノフ』

実に、重苦しいオペラだ。

イヴァン雷帝の死後、ロマノフ王朝が成立する前の混乱期に、王位を狙える実力者であったボリス・ゴドゥノフの栄光と苦悩を描いたオペラ。

原作は、プーシキンによる同名の戯曲。ムソルグスキーは、1868年から1869年にかけて、この作品を完成させた。

冒頭の、”なぜ、我々を見捨てるのか!”と歌う民衆の合唱は、いかにも重厚なロシア音楽らしく、オペラ全体の基調をよく表している。

ツァーリに選出されながら、皇太子ドミトリー殺しの疑いをかけられ、つねにその亡霊におびえるボリス・ゴドゥノフ。その苛立ちと苦しみが、バスの低音で全編を覆っている。

偽ドミトリーに、新たなロシアへの期待をかけるロシアの民衆。その祈りのような合唱は、まるでロシアの大地からの呻き声のように聞こえる。

1954年にソ連で制作された映画版。当時のボリショイ劇場のスターが総出演。ソ連の威信をかけて制作された作品。全編ロケ。音楽も、従来のバージョンではなく、映画独自のものだったという。

2012年5月、サンクトペテルブルクのマリインスキー劇場で行われた、「第20回白夜祭国際フェスティバル」の演奏から。指揮、ヴァレリー・ゲルギエフ。演奏は、サンクトペテルブルク・マリインスキー劇場管弦楽団及び同合唱団。

こちらの演出は、衣装やセットに、伝統的な物と現代的な物を組み合わせたユニークな演出。伝統的なロシアの衣装を着た修道僧が、パソコンで年代記を書いている。


2012年5月13日日曜日

ヘンデル:オラトリオ『テオドーラ』

ヘンデルのオラトリオ『テオドーラ』を、オペラ形式で演出。2009年ザルツブルグ音楽祭において、ヘンデル没後250年を記念して企画された。

ローマ帝国において、キリスト教の教えに忠実に従い、殉教した聖テオドーラを巡る物語。

もともと、オラトリオということもあり、一曲一曲が独立しており、オペラのようにストーリーの流れを楽しむというより、それぞれの曲を楽しむという感じ。

カステラーノを彷彿させる、カウンターテノール。ペジュン・メータは、スキンヘッド。その声と容貌とのミスマッチが、また面白かった。

音楽は、ヘンデルの生きた時代の主流であったバロック音楽形式。言葉が英語ということも相まって、とても新鮮な印象だった。

アイヴォー・ボルトン指揮、フライブルグ・バロックオーケストラ。

チャイコフスキー:交響曲第1番『冬の日の幻想』

冬の日の幻想とは、第1楽章に自ら付けた名前に由来する。その言葉の通り、第1楽章は、実に静かな音楽。

第2楽章は『陰気な土地、霧の大地』と名付けられている。後半部分の美しいメロディーがとても印象的だった。

第4楽章では、南ロシアの民謡が効果的に使われていて、民族色にあふれたロシアらしい音楽になっている。

ヴァレリー・ゲルギエフ指揮、サンクトペテルブルグ・マイリンスキー劇場管弦楽団による2010年のパリでの演奏。

2012年5月12日土曜日

リムスキー=コルサコフ:交響組曲『シェヘラザード』

女子フィギアスケートで使用される曲として有名。

音楽が美しいということはもとより、有名な冒頭のテーマが、千夜一夜物語の語り手、シェヘラザードを表しているということから、選手をそのシェヘラザードに見立てての演出だろう。

あらてめて、この曲を聴いて見ると、そのシェヘラザードのメロディー以外にも、実に様々な印象的なメロディーが使われていることがわかる。

そのメロディーを、バイオリン、ファゴット、クラリネット、ホルンなどの楽器が奏でて、見事なオーケストレーションを構成している。

そうしたことから、コルサコフの音楽は、”色彩感溢れる”などと言われることが多い。コルサコフは、音楽の調性に色を感じる共感覚を持っていたとも言われる。

ユージン・オーマンディ指揮、フィラデルフィア管弦楽団の1978年の演奏を聞いた。

2012年5月6日日曜日

プロコフィエフ:ピアノ・ソナタ第7番

プロコフィエフの3つの戦争ソナタ(第6番から第8番)といわれるものの1つ。

名前の通り、実に激しい内容の曲。この日の演奏では、この直前に、スクリャービンの作品が演奏されたので、その静謐な内容とのコントラストを十分に楽しめた。

第3楽章は、実にリズミカルな内容だったが、ピアニストの若いアダム・ラールは、正確なリズムで最後まで演奏。

また、「年とった祖母のお話」という作品も演奏された。子供用に作曲したともいわれ、緊張した演奏会に、ある種のリラックス感を与えていた。

ラ・フォルジュルネ・オ・ジャポン2012にて。

スクリャービン:前奏曲、ピアノ・ソナタ

スクリャービンの前奏曲というと、24の前奏曲が有名だが、この日聴いたのは、「5つの前奏曲」、「2つの前奏曲」、それと「ピアノ・ソナタ第5番」。

ショパンやリストを敬愛していたというスクリャービンの前奏曲は、余計なものをすべて削ぎ落してしまったかのように、シンプルで、しかも神秘的な印象を与える。

ピアニストは、若いアダム・ラール。スクリャービンの世界に没入してしまったかのような雰囲気で、その世界観を見事に表現していた。

ラ・フォルジュルネ・オ・ジャポン2012にて。

プロコフィエフ:ヴァイオリン協奏曲第1番

プロコフィエフの2つのヴァイオリン協奏曲の1つ。

ハープとヴァイオリンのハーモニーが、効果的に使われ、幻想的で、宇宙空間を漂っているような、不思議な雰囲気に溢れた曲。

ヴァイオリニストのイェウン・チェは、24才の若いヴァイオリニスト。ホールが普段はコンサート用のものでなく、特設の会場だったので、演奏開始直前まで、舞台裏で最後の確認をしている音がしていた。

演奏は素晴らしかった。オーケストラのヴァイオリニストの一人が、”ブラヴォー”と彼女に語りかけていたのが印象的だった。

ラ・フォルジュルネ・オ・ジャポン2012にて、ヴァイオリン、イェウン・チェ、ジョセフ・スヴェンセン指揮、パリ室内管弦楽団の演奏で。

ストラヴィンスキー:プルチネルラ組曲

ストラヴィンスキーが、ディアギレフのバレエ・リュスの「プルチネルラ」のために作った曲を集め、組曲にしたもの。

バレエの内容は、イタリアの伝統的なコンメディア・デッラルテをもとにしており、音楽もそのせいか、”これがあのストラヴィンスキー?”と思えるほど、古典的な内容。オーケストラの編成も小規模用に作られている。

オーケストラのすぐ近くで聞くことができたので、コンサートマスターの細かい指さばきが見えたり、楽器の持つ素材としての音まで聞こえるような、まるでサロンにいるような雰囲気の中で、ストラヴィンスキーが新古典主義へ変化するきっかけとなった曲を、楽しむことができた。

ラ・フォルジュルネ・オ・ジャポン2012にて、ジョセフ・スヴェンセン指揮、パリ室内管弦楽団の演奏で。

プロコフィエフ:ピアノ協奏曲第2番

自ら演奏した初演時に、あまりにも前衛的な内容から、ブーイングの嵐となり、観客の多くが退席したと言われている、いわくつきのピアノ協奏曲。

残念ながら、初演時の楽譜は失われ、現在残っている楽譜では、初演のものより、いくぶん”大人しくなった”といわれている。果たして、初演のものは、どのような内容だったのだろうか。

その現代版でも、時に叙情的になったり、時に機械的になったり、とめまぐるしく曲調が変わり、飽きさせない。ピアノとオーケストラが時に一体になり、時に独立した旋律を奏でたりと、プロコフィエフの様々な工夫が聞き取れる。

この曲を聴いたのは、ラ・フォルジュルネ・ジャポン2012においてだったが、この前に、チャイコフスキーのバレエ組曲「白鳥の湖」が演奏された。


その有名な曲を聴いた後で、このピアノ協奏曲を聞かせるあたり、企画者のいたずら心がうかがえた。さすがに、初演の時のように、怒って退席する人はいなかったが、白鳥の湖の時はうっとりと聞いていた聴衆が、この曲の時は、少しソワソワした感じだったのが、印象的だった。

ラ・フォルジュルネ・ジャポン2012にて、ピアノ、アブデル・ラーマン・エル=パシャ、ジャン=ジャック・カントロフ指揮、シンフォニア・ヴァルソヴィアで。

チャイコフスキー:バレエ組曲「白鳥の湖」

バレエ曲、「白鳥の湖」から、いくつかの作品を組曲としてまとめたもの。

あまりにも有名な曲。改めて生のオーケストラで聞いてみると、チャイコフスキーの作曲家としての卓越した技術を改めて感じることができる。

最初の”情景”。出だしの有名なメロディーを、オーボエが、そのか細い音声で奏でる。そのメロディーをホルンが、大きな音で引き継ぐ。続いて、バイオリンが、そのメロディーを展開していく。

美しいメロディー。楽器の音の特性を最大限に活かしたオーケストレーション。やはり、この曲は名曲だ。

ラ・フォルジュルネ・ジャポン2012にて、ジャン=ジャック・カントロフ指揮、シンフォニア・ヴァルソヴィアで聞いた。

2012年5月4日金曜日

リヒャルト・シュトラウス:4つの最後の歌

リヒャルト・シュトラウスが、1948年、死の前年、84才の時に作曲した、管弦楽伴奏歌曲集。4つの詩に音楽を付けたもので、最初の3つの詩はヘルマン・ヘッセ、最後の詩はヨーゼフ・フォン・アイヒェンドルフのもの。

シュトラウスは、この4つの曲をまとめて1つのものとする意図は持っていなかった、と言われている。

とにかく、美しい。とくに、最後の「夕映えの中で」は、詩の内容が死を扱っており、耽美的な音楽が、そうした雰囲気を一層、盛り上げる。

最後に、少ししつこいくらいにリフレインが入る。まるで、シュトラウスが、残された人生を噛み締めているかのようにも聞こえる。

ラ・フォル・ジュルネ・ド・ナント2011から、ドミトリー・リス指揮、ウラル・ハーモニー管弦楽団、ソプラノはオルガ・ペレチャツコで聞いた。

2012年4月3日火曜日

ドビュッシー:その古典性と現代性


東京文化会館で開催された、”東京春祭マラソンコンサート ドビュッシーとその時代”というコンサート。

第Ⅴ部で演奏された曲目は、すべてピアノ曲。ピアノは、永野英樹。
ドビュッシー:<前奏曲集 第1集>より「デルフォイの舞姫」
メシアン:<鳥のカタログ>より「キガシラコウライウグイス」
ドビュッシー:<映像 第1集>より「水に映る影」
ラヴェル:水の戯れ
ドビュッシー:<映像 第2集>より「葉末を渡る鐘の音」
ミュライユ:別れと鐘と微笑み
ドビュッシー:<12の練習曲集>より「5本の指のための」
マントヴァーニ:<4つの練習曲集>より「レガートのために」
ドビュッシー:仮面
マントヴァーニ:<4つのリズムの練習曲>より「火の鳥Ⅱ」

テーマは、ドビュッシーと現代の音楽家のピアノ曲を比べること。

面白かったのは、ドビュッシーの曲が、ある曲は、確かに今から聞くとクラシカルに聞こえるが、ある曲は、現代の曲よりも、むしろ先進的に聞こえてきたことだった。

永野は、フランスで活動するピアニストだが、その超絶的なテクニックに会場は大満足。永野は3度もアンコールに応えてくれた。

ドビュッシー:弦楽四重奏曲

東京文化会館で開催された、”東京春祭マラソンコンサート ドビュッシーとその時代”というコンサート。

第Ⅳ部で演奏された曲目は、ピアノ曲と弦楽四重奏曲。
ドビュッシー:<夜想曲>(サマズイユ編)
ドビュッシー:弦楽四重奏曲 ト短調 op.10

ピアノ:藤井一興、本田聖嗣
ヴァイオリン:渡辺玲子、小林美恵
ヴィオラ:川本嘉子
チェロ:向山佳絵子

ドビュッシーの弦楽四重奏、というとあまりピントこなかった。初演された時も、その伝統を無視した自由な構成に対して、賛否両論だったという。

しかし、音楽の美しさについては、誰も異論がないだろう。特に、第3楽章のメロディーは、この世でもっとも美しいメロディーの1つだ。

ドビュッシー:詩から得たインスピレーション

東京文化会館で開催された、”東京春祭マラソンコンサート ドビュッシーとその時代”というコンサート。

第Ⅲ部で演奏された曲目は、歌曲と合間のピアノ曲。
ドビュッシー:<ビリティスの3つの歌>
ドビュッシー:<艶やかな宴 第1集>
ドビュッシー:<前奏曲集 第1集>より「亜麻色の髪の乙女」
ドビュッシー:組曲<子供の領分>より「グラドゥス・アド・パルナッスム博士」
ショーソン:<愛と海の詩>op.19より「リラの花咲く頃」、<7つの歌曲>op.2より「」ハチドリ、<ヴェルレーヌの2つの歌>op.34
ドビュッシー:組曲<子供の領分>より「小さな牛飼い」「ゴリウォークのケークウォーク」
ドビュッシー:<抒情的散文>より「夢に」「花に」
ドビュッシー:<フランスの3つの歌>

ドビュッシーは、ヴェルレーヌを始めとした同時代の詩人たちから、曲を作るにあたり大きなインスピレーションを得ていた。それは歌曲に限ったことではない。<牧神の午後への前奏曲>は、マラルメの詩に基づいている。

このコンサートでは、メゾ・ソプラノの林美智子が、ドビュッシーの歌曲の魅力を存分に味あわせてくれた。

ショーソンは、ドビュッシーの先輩にあたる作曲家で、成功前のドビュッシーを経済的にもサポートした。前衛的なドビュッシーの作品に比べると、ショーソンの歌曲は実にオーソドックスな美しい歌曲だった。

ドビュッシー:ピアノ曲の魅力

東京文化会館で開催された、”東京春祭マラソンコンサート ドビュッシーとその時代”というコンサート。

第Ⅱ部で演奏された曲目は、すべてピアノのための作品。
サティ:<薔薇十字教団のファンファーレ>より
ドビュッシー:<忘られた映像>
ドビュッシー:<前奏曲集 第2集>より「花火」
ドビュッシー:<映像 第2集>より「金色の魚」
ドビュッシー:<海>(4手ピアノ版)

演奏者は、ピアノ:藤井一興、本田聖嗣

内容はコンサートというより、藤井によるドビュッシーのピアノ曲についての講演といった感じ。演奏した後に、客席からの拍手を遮るように、演奏した曲の解説を行っていた。

一曲目のサティは、拍子がないという珍しい曲。ドビュッシーにも大きな影響を与えたという。

ドビュッシーには、管弦楽や歌曲もあるが、やはりピアノにおいて、最もその才を発揮したのだ、ということがよくわかったコンサートだった。

ドビュッシー:フルートとハープの魅力

東京文化会館で開催された、”東京春祭マラソンコンサート ドビュッシーとその時代”というコンサートに行った。

1時間の5つのコンサートを、1日かけて楽しむというまさにマラソン企画。

第Ⅰ部で演奏された曲目は、以下の通り。
ドビュッシー:<牧神の午後への前奏曲>、<シランクス>(パンの笛)、<6つの古代の墓碑銘>
ドビュッシー:<ベルガマスク組曲>より「月の光」変ニ長調
ドビュッシー:<夢想>ヘ長調
ドビュッシー:<2つのアラベスク>より 第2番 変ト長調(ルニエ編)
ドビュッシー:フルート、ヴィオラとハープのためのソナタ

一曲目、フルート演奏の工藤重典が、会場奥の入り口付近から演奏しながら登場するというオツなオープニングで始まった。

ドビュッシーは、あまりにも有名な<牧神の午後への前奏曲>において、フルートとハープを実に効果的に使い、一度聞いたら忘れられないような音楽を生み出した。

特に、このプログラムでは、ハープという楽器の音の素晴らしさを実感できた。

2012年3月21日水曜日

ドニゼッティ:オペラ『ロベルト・デヴェリュー』

ドニゼッティの女王3部作の最終作。エリザベス女王とその愛人と噂された実在のロベルト・デヴルーの関係を元にしたオペラ。

2005年5月にバイエルン州立歌劇場の講演は、主演のエリザベッタを演じたエディタ・グロベローヴァの鬼気迫る熱演で大成功を収めた。

一般的な解釈だと、女王3部作の中で、一番良くない出来、という声もあるが、この舞台を見たら、とてもそんな風には思わないだろう。

特に、ロベルト・デヴェリューが、親友の妻と不倫関係にあることが暴露される場面が秀逸。元恋人のエリザベッタと親友の目の前で暴露され、三者のそれぞれの思いが、ドニゼッティの華麗でダイナミックな音楽で展開される。

このドニゼッティの女王3部作を、テレビで続けて鑑賞したのだが、とにかく、どっと疲れてしまった・・・

2012年3月20日火曜日

ドニゼッティ:オペラ『マリア・ストゥアルダ』

ドニセッティの女王三部作の1つ。

イングランドのエリザベス女王とスコットランド女王のメアリー・ステュワートとの史実に基づく対立を描いたオペラ。シラーの悲劇をもとにした作品。

イングラングの歴史を、ドイツのシラーが劇にし、それに音楽を付けたのがイタリアのドニゼッティという、汎ヨーロッパ的な作品。

作品の出来具合は、『アンナ・ボレーナ』よりは遥かに劣る。第一幕のエリザベッタとストゥアルダとのソプラノ対決。最後のストゥアルダの慈悲深さが見所。

不幸にもエリザベスによって死刑に処されるマリア・ストゥアルダは、最後は宗教の力で改心し、あれほど嫌っていたエリザベスを許して、断頭台に散る。

マリア・ストゥアルダはカトリック。エリザベスはイギリス国教会。イタリア人としては、カトリックの方が信仰深い、とでもいいたかったのか。

2009年4月のヴェネツィアのフェリーチェ劇場の公演は、迷路のような舞台装置で、モダンなスタイルの演出だった。

ドニゼッティ:オペラ『アンナ・ボレーナ』

ヘンリー8世が、王妃アン・ブーリンに男子が生まれないため、別な女性、ジェーン・シーモアを王妃にするまでを描いた、ドニゼッティの悲歌劇。

愛と憎しみ、権力とその行使、友情と裏切り。イタリア・オペラの魅力が満載のオペラ。ドニゼッティは、この作品で巨匠の仲間入りをした。オペラ史上でも、屈指の名作。とにかく、素晴らしい作品だ。

イングランドの王位を巡る争いの世界を、感情表現が過激なイタリア・オペラで描く。イタリア・オペラにとって、最も適した題材が、イングランドにあったというのは、少し皮肉な感じもする。

2011年の春のウィーン歌劇場の講演は、アンナ・ボレーナ(ソプラノ)にアンナ・ネトレプコ、ジョバンナ・シーモア(メゾ・ソプラノ)にエリーナ・ガランチャという2大スターの競演で話題を呼んだ。

舞台は素晴らしいの一言。エンリーコ8世(バス・バリトン)を演じたイルデブランコ・ダルカンジョロも、権力欲の強く、威圧的な役を見事に演じていた。

同じ題材で、『ブーリン家の姉妹』という映画があった。映画はそれなりに面白かった。しかし、人間の感情を描くという観点でいえば、この作品に軍配をあげる。

ドヴォルザーク『ルサルカ』

水の精、ルサルカは人間の王子の恋をし、魔法使いに人間の姿に変えてもらうが、しゃべることはできない。

王は、美しいルサスカを愛するが、口がきけないのを不審に思い、別な王女と浮気をしてしまう。

魔法使いはルサルカに元の姿に戻すには男の血が必要で、ナイフで王子を指すように命ずるが、それを拒む。本当の合いに気付いた王子は、死を恐れずにルサルカに口づけをし、二人は死で結ばれる。

こうした悲しい、典型的なヨーロッパのおとぎ話が、美しいドヴォルザークの音楽によって展開される。美しいメロディー、素晴らしい独唱『月に寄せる歌』などがありながら、このオペラはそれほどメジャーではない。もっと演奏されてもいい。

2011年に行われた新国立劇場の講演を見た。うーん、主要な出演者は海外から呼んで、とてもがんばっているけれど、やはり何か違う・・・と感じてしまった。

2012年3月17日土曜日

ヤナーチェク:オペラ『マクロプロス事件』

ヤナーチェク晩年の3部作の一つ。カレル・チャペックの原作を自ら台本化した。

不死の薬によって、300年以上生きている女性を巡る法廷劇。不死は人間の究極の夢だが、結局長生きしてもいいことはないよ、という内容の話。

2011年のザルツブルグ音楽祭の演出は斬新で、賛否を巻き起こした。

主役の不死の女性でオペラ歌手のエミリアを巡り、彼女を愛する男、彼女を疑う男、疑いつつもその存在界に一目おく男など、さまざなま男が取り巻いて、歌劇が展開される。

2012年3月4日日曜日

シェーンベルグ『今日から明日へ』

シェーンベルグが、十二音技法で書き上げたオペラ。1時間ほどの短い内容。

ストーリーは、ウィーンの夫婦のたわいない話。初めは、夫が自らの人生の不幸を嘆いているが、次第に妻が話の主導権を握り、浮気をほのめかしながら夫を脅し、夫を改心させる。それぞれの愛人となるかもしれなかった男女を、それぞれ袖にふり。元の鞘に戻る。

オペラは、時間が短いということもあるが、終止歌のみで展開される。途中、ワーグナーのラインの黄金が、十二音技法の中に取り込まれている。

少々、エキセントリックともいえるシェーンベルグの音楽は、こうした喜劇によく合っている。

2008年、エリアフ・インバル指揮、ヴェネツィアのフェリーチェ劇場で行われた公演を見て。

ブルックナーは苦手

どうも、昔からブルックナーは苦手だ。

なんというか、”ださいなあ”と思ってしまう。あまりにも、教科書的に音楽を書いているような気がしてしまう。聞いていて、背筋がくすぐったくなるような、そんな感じがしてしまう。

ブルックナーは、いわゆるワグナー派と言われるが、ブラームスよりも、より古典的のように思える。

ブルックナーは、オルガン奏者であった。

ブルックナーは、生涯をかけて、自分の音楽を何度も何度も修正していた。

2010年、バレンボイムがシュターツカペレ・ベルリンとベルリンフィルで演奏したブルックナー/チクルスを聞いて。

リヒャルト・シュトラウス『エレクトラ』

ギリシャのソフォクレスの悲劇をもとに、ホフマンステールが書いた台本を、リヒャルト・シュトラウスがオペラにした。

母が愛人と共謀して父を殺害。殺された父の娘は、弟が、いつか父を殺してくれることを願うが、自分が殺そうとも考えている・・・

その内容を象徴するように、最初から最後まで、陰鬱な音楽で綴られる。

舞台は、暗い闇に始まり、赤一色に変わるなど、シンプルだが原色をフルに使い、オペラの内容を、より先鋭化して表現している。

ティーレマン指揮。バーデンバーデン祝祭劇場2010。